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物語

稽古が始まって早くも1週間。この間、演出家が俳優に言い続けていることは一貫して「特定の様式を持たない我々現代演劇の俳優が、普通に等身大に演じたのではこの劇は到底成り立たない。自分を一度ゼロにして、泉鏡花の言葉に出会うこと。泉鏡花の言葉を手がかりに、自分を脱却すること」ということである。
昨日も、劇中発せられる様々な語彙について指摘がなされた。その中でも特に私の印象に残ったのは、「もの」という語彙についてである。劇中、それは「ものも案内」という形で台詞の中に登場するのだが、考えてみればこれは我々全員がもっともっとこだわるべき言葉なのだろう。
本作はその名も『天守物語』。さる天守に住む「もの」たちについての語りであるのだ。その「もの」たちを我々が語るのか、またはその「もの」たちが我々をして語らせるのか、ともかく我々はその「もの」たちと付き合わねばならない。その「もの」たちを扱わねばならない。

「もの」の意味を古語辞典に尋ねたついでに、「もの」を接頭辞とする複合語の一群を眺めていたら(それだけでも結構楽しい)、「物の師」なる言葉に出会った。芸能の師を意味するという。むべなるかな。

話は変わるが、このところ、ちょっと飲み過ぎかも知れない。考えよう。

田中裕太郎
by yugikukan2 | 2008-10-10 16:30 | 稽古場日誌
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